月曜日, 3月 06, 2017

特別なものではなくて、普通のものを。

色々、地域の事をやってると経験するのが
イベントの音頭を取っている人が辞めると、
そのイベントそのものがなくなってしまう、
という事。

私自身もいくつかイベントを開催して、後継者を育てようと試みたが
いや、これが本当に難しい。
主催者側の負担が大き過ぎて、誰もできないのだ。

だから思うのだが、特殊な事は継続しにくいなと。
特に地域の事とか給料も出ないのだから、
誰もが楽しく出来る些細な事から始めないと続かない。

もちろん予算がおりて仲間が居て、というパターンもあるが
希だな。
大抵の地域のは単純に高齢化が進み、若手の参加は減ってるのが現実だろう。
もう少し、手の届く範囲でイベントがをした方が良いな、と思う今日この頃である。


木曜日, 12月 15, 2016

パソコンにライセンス

it犯罪が色々と世の中を騒がしたりしているけど、
いっその事、車の免許みたいにライセンス制にして、
どのパソコンを誰が持っているか登録するようにしたら
捜査も楽になるやろうに。
近い将来、なると思うけど。

水曜日, 11月 30, 2016

ストレネ

最近よく足をつる。
運動不足か。

と、分かっているけどなかなか出来ない。
ジムも続かない。

あー、どうしようかと布団に入りながら考えてみた。

私の布団の横にはタンスや本棚、色々なものが出っ張っている。

そこに足をかけると、何となくストレッチが出来ることに気が付いた。

ストレッチをしてから寝るのではなく、
ストレッチをしながら寝れるのだ。

これは快適。
イメージ的には背伸びをする程度の事を色々な角度でする感じか。

ま、とにかく気持ち良く寝れるし、身体にも良いなら一石二鳥だ。

ストレッチしながら寝るので

ストレネと名付けよう。

あまり面白みの無い名前だが、取り敢えずいってみよう。

効果があるか無いかはわからんけど。

火曜日, 10月 04, 2016

本当は泣きたい

最近、涙もろい。
よく、歳をとると涙もろくなるという。

だから考えてみた。

「涙もろく」なるのではなく、

今まで泣きたかったのを我慢してたのかと思う。

本当は泣きたい時が一杯あったんやろうな、
って思うで。

歳いって、泣けることは、
ええことや。

今まで泣かへんかった分、
思いっきり泣こうや

日曜日, 2月 21, 2016

好きなものと嫌いなもの

何でもそうだが、

好き嫌いはある。

合うあわない、
正しいと間違い、
正義と悪。

ま、色々ある。

次のステージに行きたい時は
何でもまず
「肯定」
する事だ。

好きなものは肯定しやすいけど、
嫌いなものは、難しい。

でも人の消化力は凄いのである。
時間をかければ大抵のものは消化する。


嫌いなものを避けて生きてると
やがて嫌いなものを中心に自分が出来上がってくる。
皮肉なもんだ。

肯定。

何でも食べてみよう。

土曜日, 12月 26, 2015

ドミトリーと世界平和

世の中、色々と物騒である。

あんなに平和だったシリアのアレッポはもう、ボロボロである。
昔行ったレバノンより酷いありさまだ。

残念である。


日本では憲法改正反対、戦争反対。

確かに戦争は反対である。
が、反対してばかりでは、
戦争がないのがイコール平和なのかというと、
少し疑問が残る。


僕の会社はドミトリー専門(相部屋)のゲストハウスを何件か運営しているが、
たぶん日本でドミトリー専門なのはうちだけではなかろうか。

これは僕自身が10年ほどドミトリーで過ごして、人生の半分は
このドミトリーで教わったのではないかという思いから、
ドミトリー普及を目指し、専門店となったのである。

このドミトリーは非常に面白い世界で、世界中から人が集まり、
至近距離で生活を営む。

当然、喧嘩もあれば盗難などのトラブルもある。

が、それ以上に、あの大家族的な空気が楽しいのである。

そこには国境を越えてのつながりや、出会いがある。

これこそ具体的な平和の手段ではないのかと
最近強く思う。

薄っぺらな倫理観だけでは現実とのギャップに耐えることはできない。

うちのゲストハウスを利用してくれた人達が世界に散らばって、

自然と世界平和に繋がってくれたら良いな、と思う
今日この頃である。


火曜日, 12月 15, 2015

月曜日, 6月 08, 2015

大人と子供の違い

大人と子供の違いってなんだろう。

以前、そんなことを考えた時があった。

自立しているとか、単純に年齢とか、、、、。

ま、そのどれも正解なのかもしれないが、


私が考える大人と子供の違いとは

自分が死んだ後の事を考えれるのが

「大人」

だ。


ある人は

「自分の事が一番かわいい。自分さえよければ良いと思っている人の方が多い」

と言う。

確かにそう考える人は多いかもしれないが、

歴史を振り返ってみると

この世の未来の為に行動をとった人達のつながりが今の現在ではないのかと思う。

確かに、今の世の中、いい事ばかりではないけど、

良いところもたくさんあるのも事実である。

それは故人が

「自分たちの子供が育つ未来の世の中はこうなってほしい」

と願った結果なのだと思うのである。


自分一人が頑張っても、、、、。

と考える人達も多いが、

いやいや、ちゃんと声にしていれば、それはいずれ力になるはずです。

隣の人と手を繋げば、いずれその繋がっていく手は世界の裏側まで届くはずです。

明るい未来であることを祈りつつ。

おやすみなさい。





木曜日, 5月 28, 2015

もっと欲深くなろう。

欲深い、、、。

なんだかネガティブな感じがするな。金の亡者みたいなのを想像してしまう。


人の「欲」


というのは本当に際限がないような気がする。

だからそこを逆手にとって、とことん欲深くなってみようという提案だ。

色々なものが世の中に溢れ返っているが、たいていは人が作ったものだ。

お金もそうである。



「人が作ったもの」


を手に入れて満足しようとするよりも、

もうちょい欲深くなって


「人をつくったもの」


を欲しがってみたら良いのではないだろうか。

良くも悪くも、

周りの世界が違って見えるかもしれない。



さて、仕事も終わったし、今から酒でも飲むか。ちーん。




ドミトリーと平和

みんな平和がいいと思っている、はず。


でも実際どうしたら平和が維持できるかというと

具体的な方法が分からなかったりするのではないだろうか?


現在の日本は隣国といがみあっているが、誰が得をするのやら。

基本的に会ってもいない人を嫌いになったりはしない。

例えば、知らない人でも、噂話で悪いことをきいていると、初めてその人に会った時に

「、、、あ、あの悪い噂の人だ、、、」

と思ってしまう。ま、いわゆる先入観というやつだ。

だから隣国のまだ会ってもいない人達にも先入観で対応しがちである。




世の中には「ドミトリー」というものがある。ここ最近日本でも認知されてきたが、

簡単に言うと「相部屋」である。

昔の学生寮なんかを想像してもらえればよいだろうか。

特にゲストハウスにあるドミトリーになると世界各国から色々な人達が集まってくる。

国を超えて交流が始まる。

どの国にもいい奴もいれば悪い奴もいる。異なった習慣や文化も知っていれば問題ない。

そんな事をドミトリーでは学び、体験する。

うちのゲストハウスのドミトリーから巣立った若者が、将来

世界平和の為に一役買うことを願っている。

人は人からしか学べない。

人類みな兄弟、なんていう廃れた言葉が、

本当になることを祈りつつ。


ではでは。

金曜日, 4月 25, 2014

引力

最近、ゼロ・グラビティ という映画を見た。

そこで、一緒に見た相方が

「無重力ってなんなの?」

という話から始まり、

地球の引力の話になった。

調べてみると、色々な公式はあるが、
結局

「引力」

がなぜ発生するかは未だにわかっていないらしい。

へー、とおもいつつ調べていくと、昔の人々の考え方がでてきた。

その一つの説明に

「人は家に帰る。
これと同じようにすべての物は家に帰るのである。
石が地面に落ちるのは、大地が彼らの家であるからだ。
炎が空に向かうのは、天が彼らの家だからである。」

なんだか、詩的だ。

惚れた。



おやすみなさい。

水曜日, 3月 12, 2014

スマホ中毒

先日、知り合いの飲み会に行った時のことだ。

みんなで飲んでいる約2時間の間、
ずっと2台のスマホを顔をくっつけるようにして
操作している男性がいた。

自分も結構いじっている方だが、基本は仕事のやり取りである。

その男性、2台のスマホをいじりながら酒を飲み、みんなと会話しているのである。

すごい。聖徳太子なみだ。

何故そんなに画面ばかり見ているのかと聞くと色々返信しなくてはいけないらしい。

久しぶりに会っている人達がその場に居たとしても、だ。


その男性が幸せかどうかは置いといて(ま、余計なお世話だな。)

私自身、ソーシャル系で時々面倒な雰囲気を感じてしまうのだが、
それは何故だろうと今回考えてみた。

メールが来たらスグに返信しないといけないとか、去ってしまった人をメンバーから外しにくいとか、またはその逆とか、、、。ま、わずらわしい訳だ。



でも、問題はもっと根深いのではないだろうか?




これは

「存在している自分」



「存在させられている自分」

のバランスの問題だと考えた。


「存在させられている」というのは

与えられた名前、与えられた環境、その他もろもろ。

「存在している自分」というのは、その通りの意味で

与えられたものを受け取っている側のことである。



このネットを通じて進んでいくメンタル的な方向はどうもバランスが悪い。


常に、人から ”どういう風に見られているか”

常に、人に ”どういう風に見てほしいか”


と考え続けている。

これはどちらも


「存在させられている自分」


側の思考である。

つまり、本来の「存在している自分」にかけなくてはいけない時間がどんどんすり減らされていく。

こんな事を続けていたら鬱病になるか強迫観念にやられてしまうのではないだろうか。
なにしろ、自分の存在がどんどん環境に依存していくのだから。



たまには何も持たずに、近所を散歩したり、山や海などに行き本来の自分と語り合う時間をつくるのもいいと思うぞ。


最近、涙もろくなったが、歳をとっただけか?





金曜日, 2月 14, 2014

軍事・医療博物館

20代の頃、6年ほど海外をうろうろしていた。
暇つぶしに美術館や博物館を見に行くのだが、
軍事博物館に行った時に思ったことである。

人類が何に一番力を注いだかというと、
一つは

「人を殺すこと」

もう一つは

「人を救うこと」

 

当時、個人的に医療器具を買う趣味があったのだが、
(かわってるねー、と他の人から良く言われましたね、、、)

医療器具のラインが美しいなー、と思いなんとなく買ってしまうのだ。

ラオスで皮膚を縫う針を買って、よく見ると針はアール状に曲がっていて、
断面図は三角形になっている。もちろん先端にいくほど細くなっている。
糸を通す穴の所は糸の幅の分だけ凹ましてある。
店のオーナーに聞くと、

「皮膚を縫う時になるべく細胞を傷つけないためだ」

と説明を受けた。


医療器具というのは本当に繊細なラインをもっているものが多い。




軍事と医療、

単純にナイフだけを比べてみると

殺すためのナイフは、強度や殺傷性を追求してあり、攻撃的だ。

対して医療用のナイフ、つまりメスと呼ばれているものは、
やさしいラインをもっているように思える。

どちらが優れている、とか、
いいとか、悪いとか、
ではなくて、何かを考えるきっかけにしてもらいたい。

学校の廃校とかあれば、
サバイバルナイフとメスを並べるように、
人を殺すための物と人を救うための物を交互に展示してある、

「軍事・医療博物館」

たるものをつくりたいものだ。

と、屋台の飯を食いながら思ってたなー。

日曜日, 1月 05, 2014

大学受験の解答用紙

皆様、明けましておめでとうございます!

新年とは、まぁ、あまり関係のない話かもしれんが
ここ学生街の早稲田では受験のシーズンがやってくる。

で、いつも思うのだが、受験した時の解答用紙を
返してあげれば良いのにと思ってしまう。

人によってそれぞれだが、高額な受験料をとり、
人生の中での貴重な時間を費やすのだから
解答用紙ぐらい返してあげてもいいのではないか。

ま、大学側の都合が良いようにできているのだろうけども。

水曜日, 12月 25, 2013

クリスマス

17年前のクリスマスはインドで迎えた。

デリーにある安宿で日本人が4人ほど居た。
買ってきたお酒で、軽く乾杯。


ヒンドゥー教だが、100年ぐらいイギリスの植民地になっていたせいか、
もしくは都心だからか、それなりに昼間はインド式のクリスマスの飾り付けが売っていた。


静かになった夜半過ぎ、みなでチャイを飲んでいた。



今は、そのうちの一人がロンドンでレストランをやっている。

一人は体を悪くして、今後の人生を考えている。

一人は連絡が取れなくなった。



陶芸教室から始まったこの会社。

もう一度基本に戻る時が来たのではないかと
考える今日この頃。


月曜日, 10月 28, 2013

入院

先月、生まれて初めて入院なるものをした。


「急性虫垂炎」


いわゆる、 「盲腸」 だ。

こんな歳でやるとは思わなんだ。

てっきり胃炎かと思っていた。


術後、陳陳からホースを抜くとき、痛すぎて

 

「おわっっ !!」



と小さく叫んでしまった。


それと、管を抜いた後、小便をした時も



「だっ!」



と身もだえした。

こんなに痛いのだな、知らなかった。

看護婦が管を抜くのが下手で尿管を傷つけたと思って最初は心配になった。

でもこれで盲腸をした連中との共通言語ができたから、文句はない。




最近は腹に3か所穴をあけて手術をするようだ。

その穴を塞ぐのに「溶ける糸」を使うのだが、これがなかなか溶けない。

チョロッとでたその糸が服にひっかっかて、いちいち血か体液か分からないようなものが出てくる。



不快だ。



風呂場でうちの長男とそのことを話したら、

「お父さん、その飛び出た所、ハサミで切ったら?」

と言われて、切断した。

快適だ。

そろそろ息子の方に仕事をまかせてもいいのかもしれない。





健康が一番だな、と思いながら飲む酒は、

うまし、、、。

水曜日, 6月 19, 2013

今日は風が強い、、、。

今日は2013年6月19日水曜日である。

今夜11時から商店会の夜会合だ。

なんとか来年は面白いイベントができれば良いのだが。

この商店会、結構廃れている所が多いのだが、いやいやどーして、内容はすごく良いのだ。

任意団体で年間何百万も予算がおりる所なんてそうそうありはしない。

新宿区だけかもしれないけど。



要はイベントの内容が時代遅れなだけで

現代に合わせてアレンジしてあげれば凄く良くなるはずだ。

大手チェーン店に負けないようにするにはこの「商店会」が結構キーワードかもね。

日曜日, 2月 17, 2013

隕石と面接

早いものです。

2013年。



昨日ロシア(旧ソ連。すっかりこのロシアというのが馴染んできました。)に

隕石が落ちました。

千葉県が入るぐらいの面積に被害があったそうです。

負傷者は1200人程度。



昔、恐竜が隕石が落ちてきて地球の気候が変わり、絶滅したかもしれないという話なんか

SFみたいだなと思ってましたが、こんな事件が起きると本気になります。



いつ隕石にあたって脳みそがぶちまかれてもいいような人生を送りたいものです。

仕事は程々に。遊び心を忘れずに。




そういえば、

最近、珍しい事にHPの求人欄を見て、うちに面接をしに来る人達が4人ほどいました。



前までは、面接とか面倒だな、と思ってましたが面接場所を飲み屋に変えると

飲みながら面接できるので、楽しみになってきました。

1時間ぐらい飲んでいると、お互いだんだん調子がのってきて、


「じゃ!やってみるかぁっ!」


「はいぃっ!がんばりまっちゅうーーーっ!」


なんて盛り上がります。

訳もなく楽しいです。

次の日、もう来なかったりしますが。



日本の未来を憂いつつ、

では。

日曜日, 12月 02, 2012

2012年12月

2012年の12月になりました。

みなさんお元気ですか?



このブログも久方ぶりの更新となります。


去年の東日本大震災から1年半以上経ちました。


お客の9割弱が減り、

うちの会社も潰れるかと思いましたが、

なんとか持ちこたえて年を越せそうです。



たまにしか更新しませんが、宜しくお願いします。

では、また。



火曜日, 2月 06, 2007

引越ししました。

からくり粘土の遊園地社です。
いつも

「社名ながすぎ」

と怒られております。

事務所が引っ越ししました。
東京都新宿区西早稲田2-3-5吉岡ビル1階です。

これからもよろしくお願いします。